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2005.08.25

クローン

もうひとり自分がいたら便利だな

なんて、なんとなく考えることがある。
やることが多くて疲れた時とか、、、


「クローン」という言葉が現実感を持ちはじめたのは、1997年のクローン羊『ドリー』の誕生からだろうか。

ぶっちゃけ、技術を総動員すりゃぁ人間のクローンだって作れるさ。
この間見に行った映画「アイランド」みたいに、臓器移植のためだったり、望みどおりの子どもを得るためだったり。


相方と「クローン人間」について話してた。

クローン人間を作った場合、元になった人間とクローン人間は同一人物なのだろうか?
細胞も記憶もすべて同じだったとしたら、どちらが「ホンモノ」かなんて、どうやって判断するんだろう。

あと、クローン人間の人権ってどうなるんだろう。
その前にクローン人間って一人の人間としてみなされるのかな。
精子と卵子による受精から生まれてきた「人間」と人為的に生み出された「人間」、平等な権利は与えられるのだろうか。


元になった人間とクローン人間、ボク的には別人だと考えている。
たとえ細胞が同じであり、記憶も同じであったとしても、この世に存在した瞬間から別の環境で生きていくわけだろう?
そうすると、当然別の感情や経験を得ていくこととなる。
そうなったとき、やはりそれは別の人間としての成長なのだと思う。
(一卵性の双子みたいな)

人権的な話になると、ボクにはよくわからない。
でも、人として生み出すのならば人権は必要だ。
生きていくために。


自分がもう一人いたら、便利だ。
しかしそれは今生きている人間のエゴだ。
自分に役に立つからほしいだけで、できた「人間」の人権なんて考えてない。

臓器移植を望む人、子どもに恵まれない人など、クローン技術によって助かる人はたくさんいるし、望んでいる人もたくさんいる。


でも、人間が人間を作為的に生み出す世界になったとしたら、人をいとおしむ気持ちや命の奇跡や大切さ、それらがすべて薄れてしまう気がしてならない。

クローンがいたらなぁ、
そんなことを夢物語としていっていられるうちが幸せな気がしてならない。

ボク自身が、クローン技術に対して必要に迫られた状況にいないから言えることなんだろうけど。





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